難病のホーキング博士が見出した「幸福の指標」から

今回は、東洋経済オンラインから、感動するお話を一つピックアップして、ここに掲載します。(https://toyokeizai.net/articles/-/371595抜粋)

 

人間の人生は、本当に”考え方、心のうち次第!”ということが、この話から分かります。

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難病のホーキング博士が見出した「幸福の指標」

心や思考が自由である限り、人間に限界はない

 

若田 光一 : 宇宙飛行士、博士(工学)

2020/08/31 5:20

 

21歳の頃、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された、“車椅子の天才物理学者”ホーキング博士。2018年にその生涯を閉じるまで、博士が残した示唆とウィットに富む数々の言葉を、実際に国際宇宙ステーションでも対話をしたことのある宇宙飛行士の若田光一さんがひもときます。

 

※本稿は『宇宙飛行士、「ホーキング博士の宇宙」を旅する』を再編集しています。

 

ホーキング博士はケンブリッジ大学の大学院生の時、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたといいます。当時、ALSは発症してから5年程度で死に至る病気と考えられていました。人生これからという若いときにそのような悲劇に見舞われ、どんなに落胆しただろうかと思うと、その悲しみたるや想像にかたくありません。

 

ただ一方で、ホーキング博士は当時の心境を振り返り、「未来には暗雲が立ち込めていたが、驚くことに以前より人生を楽しめるようになり、研究も進むようになった」(『3分でわかるホーキング』より)とも語っています。

 

ALSと診断された2年後に結婚し、子どもができて家庭を持ち、やがてケンブリッジ大学の教授になりました。そして、「車椅子の物理学者」として広く世の中にその名が知られ、2018年に亡くなるまで50年以上の研究活動を続けました。難病と戦いながら生きた人生でしたが、研究者として目覚ましいその活躍を考えると、驚くべき展開に転じた大逆転の人生だったと思います。

 

私は、ホーキング博士の功績には、2つの重要な点があると思います。1つ目は、誰もが認める学者としての比類なき研究成果と影響力。そして2つ目は、難病のALSというハンディキャップを克服し、見事に人生を好転させる偉大な実例を残した、という点です。

 

もちろん、決してきれいごとではなく、病気は歴然とハンディキャップとして博士の人生のさまざまな場面で立ち塞がり、筆舌に尽くし難い多くの苦労や悲しみも背負っていたと思います。合成音声を使っての意思伝達、日常生活での不自由極まりない状況、そして病気が進行し、いつ命が脅かされるかわからないという不安と危機感がつねにあったわけですから。

しかしながら、ホーキング博士が素晴らしいのは、普通の人間であれば生きる希望も勇気も萎えてしまうような状況の中、その悲劇にだけ自分の心を置かなかったことだと思います。

「不運にも運動神経系の疾患にかかってしまったが、それ以外はほとんどすべての面で幸運だった──とくに理論物理学を学んだのは幸運だった。理論はすべて頭の中のことだからだ。おかげで病気は深刻なハンディキャップになっていない」(『ホーキングInc.』より)とホーキング博士は言っています。

確かに、宇宙の謎や宇宙の成り立ちに脳内で想像を巡らすとき、ALSはハンディキャップになりません。ホーキング博士は自分に残されている力と可能性を信じ、見事に成果につなげ、偉大な科学者としての人生を開拓しました。

また、こんな言葉も残しています。

私たち人類は肉体的には非常に限られていますが、心は宇宙全体を自由に探検することができます(『ホーキング、未来を語る』より)

心や思考は、どこまでも自由自在に探究できる──それが人間という生命体に与えられた特権ではないでしょうか。

われわれの肉体には限界があり、羽ばたいて空を飛びたくても、それは叶いません。しかし、だからこそ心や思考から生み出したテクノロジーを活用することで、宇宙に飛び出す文明をも築き上げることができました。われわれにはどんな肉体的な制約があろうとも、心や思考が自由である限り、人間に限界はないとホーキング博士は言っているのだと思います。

逆境のなかでも努力を続けられた理由

ホーキング博士には科学を探究するための類い稀な資質がありましたが、逆境の中ですら自分の可能性を信じる強靭なメンタリティーこそが、彼にとって最も重要な「才能」だったように感じます。

われわれはしばしば、自分にできない物事を悔やみ、自分に足りないものを欲し、他人にそれを見つけてはうらやみます。自分に足りないものについては敏感なくせに、自分の手の届くところにある幸運には鈍感なところがあります。結局のところ、一人ひとりの人間を取り巻く状況や才能は千差万別であり、強みも弱みもひっくるめて、すべてが人それぞれです。

しかし、それは不幸なことではないはずです。一人ひとりが異なる種を持っていて、その花を咲かせる方法も、その道筋も千差万別なのだと思います。

いくつもある道筋の中で、ただ一つだけ共通するポイントがあるとしたら、自分がどういう人間なのかを知り、自分の才能を伸ばす方法を見つけ出し、それを信じて徹底的に努力をすること。それこそが、ホーキング博士のように、逆境のなかにあっても自分の人生を輝かすことができる生き方なのではないでしょうか。

死ぬことは恐れてはいないが、

死に急ぐつもりはない。

とにかく、

やりたいことは

まだたくさんある。

(『3分でわかるホーキング』より)

 

ALSという難病によって、つねに死を意識する状況で生きてきたホーキング博士が「死ぬことを恐れてはいない」と主張できるのは、かなり達観した境地であるように感じます。私だったらそこまでの心境にはなれないだろうというのが正直な感想ですが、1つ思うところはあります。

 

おそらく人の一生には、「長い・短い」という時間軸の尺度以上に大切なことがあるはずです。もちろん、長生きするに越したことはありませんが、人生のなかでどれだけ充実感を持った一瞬一瞬を積み重ねることができたか、納得できる時間を過ごしてきたか──少なくとも私が自分の人生を振り返るタイミングがきたとき、そのことを自らに問いかけると思います。

 

幸せかどうか=自分が「満足できたかどうか」

 

人には、それぞれ「自分はこうありたい」「ここまで達成したい」という理想があります。それに到達したり、限りなく近づけることで、満足や充実感を感じることができます。

 

しかしながら、自信の欠如から、その本当の理想を追求せず、最初からゴールをより容易なものに設定したり、理想を低く掲げてしまうことはないでしょうか。でも、それが真に目指したいものかどうかについて、自分の心を欺くことはできません。

 

つまるところ、自分自身が納得できる生き方だったと思える人生が、幸福な人生なのだと思います。周囲の人にどんなに高く評価されようと自分が満足できなければ充実感はなく、逆に周囲の評価がどんなに低くとも自分が納得し、満足できる生き方ならば、それは「幸せである」と言えるのではないでしょうか。

 

ホーキング博士は、自身の人生に「宇宙の仕組みの解明」という、とてつもなく高いゴールを掲げました。でも、それは誰にうそをつくこともない、博士が心から望んだゴールだったのだと思います。そのゴールのために、自分ができることは何か、克服しなければならないことは何かを思索し、自らに対する評価指標を持って人生を歩んでいたのでしょう。

 

自分が何をしたいか、何をすることで自分が本当に納得できるのか。自分にうそをつくことなく、突き詰めて考え抜き、その「何か」をつねに明確に認識して生きていくことがなによりも大切なのです。

 

以上

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私見。。。ホーキング博士の人生は、特に若い人に伝えたいこととして、「こういう人生もあるんだ。」と勇気を与えてくれるお手本でもあります。

これを読んで、自分を動かす”心”や”考え方”こそ、人間にとって、いかに大事かを改めて認識せずにはいられません。

スイスジャパンサポート 近藤

 

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