東洋経済から:“日本の学校教育が国際的に全然悪くない理由” 教育研究者ルーシー・クレハンについて、私の経験を交えての考察
東洋経済に、日本の教育と外国の教育との違いについて言及している記事(2017年11月2日付)がありましたので、ご紹介しながら、私自身のスイスでの経験から書いてみます。「」は記事の引用文です。
まず、西欧の公立小学校から、学力別にクラス分けをしています。この記事では、イギリスの学校がそうだ、と書かれていますが、ドイツやスイスでも同じです。つまり、日本よりもシビアな面があります。
日本の中学校の校長先生が、日本でそれをしない理由として、「日本には、万人に等しい教育を受けさせるという非常に強い信念があります。そういう伝統なのです」と言っています。
また、記事の中で、「努力によって物事は達成されると考える日本の子どもたちは、失敗したときにも、その失敗に刺激されてさらに頑張る。西欧の普通の子どもたちとは正反対だ。」と指摘しています。この辺の話も、私は子育てをして来て、西欧で経験しています。
次に、塾についてですが、スイスの公立の小中学生でも、個人教授式の塾はあることはあります。昔、私の娘の同級生の母親が、彼女の娘が高校へ行く進学コースの成績に若干届かないというので、塾へ通わせていました。
但し、スイスの場合も、この記事と同様に、日本の親が思う様な、“努力すればかなう“とは逆でした。向うの両親も、進学かどうかについては、ある程度、すでに決まっていると思っている感じが強かったです。ですから、日本の様に、多くの子供を塾へ通わせることはありません。
記事では、日本的な考え方としての違いが、結論的に書かれています。「日本の子どもたちも、人によって生まれつきの能力の違いがあることを認識してはいるが、それより努力のほうが成績を上げる力があると考えているのだ。」
この様な記事の内容と、スイス現地での語学学校の経験から、私が思ったことは、“日本の学校はクラスの中レベルに合わせるが、スイスの場合は、むしろ出来る生徒に合わせる”、という違いが見受けられることです。
日本の場合は、多数派である、中レベルに合わせることで、クラスの平均点を上げます。
それに対して、スイスの様に、出来る生徒に合わせた場合、出来る生徒が暇になることはありませんが、出来る人と出来ない人との差が開きます。
但し、こちらの公立学校では小学校高学年から、すでに学力でクラス分けされるので、そういう意味では、差が開きすぎる前に、クラスが変わっているということになります。
また、学力別にクラス分けされてからも、あとから頑張って、進学クラスへ行くという場合もあります。
スイスの公立の小学校でさえ、まれではありますが、1年早熟に入学させる事もあります。但し、それには、教師が相当に調査検討をしてから、決断をします。その逆に、小中高校でさえ、落第も存在します。落第は小学校から意外とあります。
又、スイスのボーディングスクールでは、例えば、算数が出来る生徒には、どんどん次のレベルへ行かせて、年齢より上の内容を学習させる学校もあります。小学生でも数学だけ、中学生の教室に座っているという感じです。これは、少人数制で、個人に対するケアが豊富な為、可能になります。
私は個人的意見として、出来る子には、どんどん次へ進ませてやらせるという方法には、賛成です。
もちろん、その子の得意科目に対してであって、体育やクラブ等は年相応に行います。その理由として、他の子がわかるまで、待っているのは、実際、つまらなく、その子の時間の無駄になるからです。
ここで垣間見た、これらの西洋と日本の教育の違いは、全体のレベルを上げるのか、個人の得意科目のレベルを上げるのか、ある意味、集団主義的教育と個人主義的教育かの違い、とも言えると思います。
日本と西洋の教育の大きな相違は、つまり、当然のことですが、ここが大きなポイントになります。
お子様の留学を考える前に、こういったことも念頭に置き、もう一度、そのお子さんに適しているのはどこなのか、検討されたら如何かと思います。
近藤
スイスジャパンサポート