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高校時代の米国滞在と元英語教師の母の影響~私の思い出の記憶から

母が亡くなって数か月してから、ふと蘇ってきたことについて、ここで書きたいと思います。

2018年春に亡くなった母は、生前、公立中学校の英語教師だけではなく、県教育委員会の仕事、姉妹都市や姉妹校の仕事と、いつも仕事に邁進していた、当時では珍しいキャリアウーマンでした。

県一斉テストも作っていたので、筆記テストだけでなく、口頭の聞き取りテストも自分で録音し、その後の答え合わせをローカルテレビに出演して、解説していたのを覚えています。

彼女の交換留学生の引率の仕事では、中学校生徒を連れて、米国やカナダへ合わせて20回以上は行っていました。

また、私が小学校3年生の夏休みに、母は、奨学金をもらって、英語の先生の為の英語研修に、1か間短期米国へ留学をしたのを憶えています。米国1ドルが、360円位の時代です。

その間、昭和ひとケタの父が、慣れない家事をしたりしたのも、子供ながらに覚えています。父は彼女の仕事に理解ある人だったので、「行って来なさい。」と賛成していたものの、洗濯物を干したり、大変そうな様子でした。

普段の母は、朝早く学校へ赴き、夜遅く帰宅したりしたので(昔の先生は、当直もあり、職員旅行、職員会議、修学旅行、部活と、彼女の人生の大半=仕事に忙殺されていました)、1日のうち、母の姿を見ない日もありました。

そんな中、私が高校2年の夏休みに、家族で3週間のアメリカ横断の旅行をすることになりました。

米国で私達家族は、私と母のペンパルに会ったり、、彼女の知り合いや友達のアメリカ人宅へ数日ずつ泊まりながらの旅です。

母は、幼い頃、戦争を体験して(空襲時に妹を抱いて、防空壕へ逃げたと言います)、英語の教師になったわけですが、当時、今の様な英語スクールはなく、英語は直接宣教師から習ったり、地元一のホテルに通い詰めて、外国人に話しかけることで、英会話を習ったと話していました。そこで、ペンパルや友達が出来て、この米国横断の旅が実現しました。

それだけではなく、交換留学先の学校の知り合いの先生の所へも、足を伸ばしました。

今ほど外国人と接するのも簡単ではない時代でしたが、毎年クリスマス時期になると、米国やカナダから彼女宛てに、50通程のカラフルなクリスマスカードが届いていました。

アメリカ横断の旅の話に戻ります。

今思えば、エージェントが留学を企画して、参加する子供達を募集する代わりに、母がホームステイを自分で企画していた様なものです。

彼女の米国人の知り合いには、中学の教師だけではなく、、大学教授や弁護士、市長などもいて、幅広いインテリ層の人がいました。

イリノイ州へ立ち寄った際には、母の知り合いのイリノイ大学の教授に会う機会があり、彼は私に「大学へ来たらいい。」と言われました。その時、私は、「はい、ぜひ。」と答えてはいましたが、結局、その後、母が何もしなかったことから、それは実現しませんでした。

私が自分から行きたい、としつこく言っていたら、違ったのかもしれませんが、留学とは、特に必然性を感じなければ、また親が子供に強く勧めなければ、中々実現には至らないものだ、というのがここで分かります。その時、母が勧めていたら、今の私は違った道を歩んでいたと思います。

アメリカの旅は、つまり、自家製ホームステイですが、居間のソファをベッド代わりに寝たり、庭にサボテンだらけのテキサス州に住む、私と同年の自分のペンパルの家で過ごしたりもしました。その時、自分の年齢に比べて、アメリカ人の女の子は、何とませているのだろう、と感じたものです。

「これから、キャンプへ行くための準備をしているの。」、と言われて、見ると、寝袋とかではなく、スーツケースにドライヤー等を詰めているのを見て、当時、日本ではそんなキャンプの荷物準備は考えられなかった為、進んでいるアメリカらしいと感じたものです。

留学エージェントのホームステイと比べてみると、母の知り合いを転々としたため、どこへ行ってもウエルカムで、ホテルには殆ど泊まりませんでした。

そんなホームステイ的経験をした後、私が大学生になると、今度は、母が第二の留学先として英国を選び、再び短期留学へ旅立って行きました。

私自身は、20代で、米国のカリフォルニア州へ留学しますが、その時も母の知り合いのアメリカ人達にお世話になりました。

こういう母を持ったことで、自分が今エージェントをしているのは、無意識にせよ、環境が影響しているのかもしれません。

母の退職後、私が朝日新聞に掲載されていた、ライシャワー財団が主催する「日本文化ボランティア派遣募集」をみつけ、母の為に応募してみました。母がそれに選ばれたことで、半年間、ニュージャージー州で、ホームステイをしながら、日本文化を伝えるボランティアもしました。

しかし,母はそれにも飽き足らず、今度は姉妹都市のオマハの知り合いの先生からの紹介で、米国の高校で日本語教師の仕事をしに、一人で1年間アメリカに滞在しました。

その後、私がスイスへ住むようになると、母は、毎年我が家に来ては、まるで、”自分の別荘の様に”、1か月くらい滞在していました。時々、父も一緒でしたが、殆どは一人で来て、気軽に、スイスから色々な場所へも旅行していました。

老後は、スイスの話を書いた自伝まで出版して、知り合いに分けていましたが、地元静岡の書店の店先に置いてあるのを見かけたことがあります。

戦後の日本で、モノがない母の時代では、如何に英語を習得するのが大変だったろうと思います。静岡の教会へ通い詰めて、宣教師から多くを学んだらしく、恩師と言われる宣教師に会いに、カナダへ立ち寄ったりもしていました。私が赤ん坊の頃、宣教師に抱かれた自宅前での写真が今でも残っています。

私が6、7歳位の時は、家族ぐるみの付き合いがあった、米国人夫妻が家に来た時の写真もあり、少なからず覚えています。

そして、私が小学生の時、日曜日に母が日直で学校へ行くというので、一緒に付いて行った記憶があります。そこで、母は、英語のスピーチコンテストに出る中学生の子にアドバイスをしていました。

今思うと、当時、英語を自力で実践習得していった母の努力が、感じられます。現役時代はエネルギッシュだった母ですが、晩年は病気に悩まされてました。

数十年前に、家族ぐるみで付き合っていた米国人のバーバラが、カリフォルニア州の老人ホームへ入居する前に、「家で整理していたら、見つかったから、あなたに返すわ。」と言って、米国から私宛に小包みを送って来ました。小包みを開いた途端、若かりし母の愛情に満ちたものが、感じられました。

それは、私が幼稚園から小学校低学年の頃、描いたり、作ったりしたオリガミや切り絵の綺麗な工作の品々でした。どうも母は、米国人の友人知人らに、自分の手紙を添えて、自分の子供の作品をせっせと送っていた様なのです。それをもらったバーバラは、母の私への愛情を汲み取っていたそうです。

自分の子供に対しては、育児もままならない程、あまり接する時間さえない、職業婦人だった母ですが、そんな当時の母の子供への愛情が、米国人から届いた箱の中から、数十年経って感じられたのは、遠い昔の懐かしさも運んでくれて、不思議な感動さえ覚えた出来事でした。

 

以上、私の母、昭和生まれの元英語教師と、彼女の米国人との長い草の根交流のお話、でした。

 

スイスジャパンサポート

近藤 美穂

 

 

 


ポッドキャスト”未来授業”中沢新一氏のお話で思ったこと。

ポッドキャスト番組に”未来授業”というのがあります。

内容は、未来はどうなるか、について、各分野の専門家が、講義をするもので、その人が、あるテーマについて、どのように考えるか、を話すので、とても面白い番組です。

分かりやすく引用すると、”日本が世界に誇る各界の「知の巨人」「次世代の知のフロントランナー」を講師に迎え、未来の日本人たちへ送るアカデミックな授業をお届けします。若い世代が社会の主軸となる「10年後の日本」を生き抜く智恵を探ります!”です。

2018-03-15にアップデイトされたこの音声の番組の中で、思想家で人類学者の中沢新一さんのお話(第4回)が面白かった事から、それをご紹介し、感じたことを書きます。

テーマは、2020その先の東京、です。最新刊「アースダイバー、東京の聖地」で
2020年に向けて再開発が進む、築地と明治神宮周辺を取り上げました。
有機体のように日々変化する東京の街は、いったいどこに向かうのか。

https://www.tfm.co.jp/podcasts/future/detail.php?id=23762

 

この中で印象に残った内容部分を簡単に要約します。

”今の東京の再開発を見ると、伝統の原理を見ないで、破壊したり、頭の中で作ったイメージだけでただ作っているが、本当に東京が目指さなきゃいけないのは、一番重要な伝統の核心部に、新しい要素を組み込んで、進化系にしなくてはいけないこと。100年とかの大きいスパンで考えて、見て行かなければいけない。”

”明治~大正にかけて、西洋の文化や技術が流れ込む中で、明治神宮や東京駅を作ってきた人々は、皆ヨーロッパに留学した留学組で、日本文化が体内にセットされていたのを、ヨーロッパで学んできたこととをうまくミックスして、あの様な素晴らしいものが出来上がった。”

 

 私見。。。やはり、この体内の日本文化とヨーロッパで学んだことの「ミックス」こそ重要で、の言っていることのポイントです。どちらに傾きすぎても、ダイナミックで、未来に素晴らしいものは生まれないのです。

例えば、「洗練」という言葉を考えた場合も、まさに伝統とその時代の新しさやその他のセンスがミックスされることで、更に飛躍があるということでしょう。

海外留学を考えてみた場合も、同じで、ただ、そこで学習したことを西洋かぶれだけで終わらせずに、自分の中の日本とがミックスされることで、より一層高次の次元へもたらす技術だったり、アートだったりが生まれるのです。

西洋と日本の良さの両方を生かしてこそ、新たな可能性が生まれる。

留学生の皆さんにも、それをぜひ伝えたいと感じた放送内容でした。

 

近藤 美穂

スイスジャパンサポート

 


海外に住んでいて残念だと思う事。

日本にいて、日本の社会にどっぷりと浸かっていると気づかないことが、外国から俯瞰して見ることで、日本について気付いたり、思ったりすることも多々あります。

最近、中国の企業進出が躍進して来ると、日本企業の影がどんどん薄れ、ヨーロッパのスーパーや百貨店では、中国製のモノばかりが並んでいます。日本人が日本へ行って、炊飯器を下げて帰ってくるならまだしも、こちらの人がオンラインで、日本製の炊飯器を購入したいと思うようものなら、簡単ではありません。

ヨーロッパに長年、25年も住んでいると、日本の経済は、失われた20年来、どんどん後退している、つまり、日本は覇気が無くなっていると感じて、残念で寂しくさえ思います。

逆に中国は勢いを増して、ドイツやスイスなどの企業買収をしています。

これと平行して、スイスのボーディングスクールに来る中国人生徒の数もかなり増加しています。

中国からは授業料が高くても、相当数の生徒がスイスに集まって来ます。日本人の生徒の場合と比較してみると、日本人の定員には、まだまだ余裕がありますが、中国人の場合は、来たくても国籍割り当てで、切られてしまう程です。

つまり、中国は企業進出の勢いだけに終わらず、若い人員もどんどん海外へ来ているのです。もちろん、人口の規模の違いもありますが、中国の勢いというものを感じずにはいれません。

日本に必要なのは、元気ある、勢いですが、それは、若い人たちが持つ未来のエネルギーでもあります。

日本は教育面から活性化されてこないと、新しい発想が生まれて来ません。

それには、やはり、若いうちから海外に行ける人は行って、異なる視点から世界を見て来ることが、重要です。 どんどん、海外へ来て、今世界の中心である、西洋を見て欲しい、と心から思います。

ボーディングスクールへ来ると、日本の子供達が言うのは、食事についてです。日本は世界一美味しい国なので、寮生活の食べ物について、言ったらきりがありません。

 やる気の有る子には、ぜひ、海外の学校に来て、ダイナミックな世界の動きを体で感じて欲しいと思っています

スイスジャパンサポート

近藤

 

 


最も国際的な大学ランキング2017年

 英国の教育専門誌タイムズハイヤー・エデュケーションが発表した、最も国際的な大学ランキング2017年(The most international University in 2017 ranking) というのがあります。

それによると、スイスの大学が上位2位を占めています。

上位2位は、1位、スイス工科大学、2位、ローザンヌの工科大学で、どちらも連邦工科大学です。

スイスは、国際性において、

スタッフの国籍や国際的な共著の発行を初めとして、国際性豊かな高いポイントを獲得しています。

https://www.timeshighereducation.com/features/worlds-most-international-universities-2017tt

以下の日本語のサイトで、日本の大学は、150校中、4校入っていたという少し寂しい結果がありました。http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170202-00015075-forbes-int

http://www.excite.co.jp/News/it_lf/20170202/ForbesJapan_5075.html?_p=2

ランキングは、以下の項目に関する評価に基づき、決定されたものだそうです。

・ 学生に占める留学生の割合
・ 職員に占める外国人の割合
・ 学術誌に発表した論文に外国人の共著者がいること
・ 国際的な評判

(上記日本語サイトから抜粋)

以上

スイスジャパンサポート

 

 


英語脳の作り方~厚切りジェイソンのアドバイスから。

お笑いタレントで、日本語がぺらぺらの厚切りジェイソンさんが、言っている英語脳の作り方~が興味深いので、ここでご紹介します。

彼は、日本語能力試験1級を持っているそうですが、どうやって日本人が英語脳を作るかについて、アドバイスしています。

それによると、いちいち日本語に訳しちゃだめ!という基本的な考え方が掲載されています。本当にその通りだと思います。外国語は、日本語にしていたら遅いので、概念をそのまま頭に叩き込んで行くのがコツ~というわけです。

つまり、”英語は英語で考える”。 ズバリその通りだと私が確信をもって言えるのは、プライベートの事で恐縮ですが、うちの子供がまさにそうです。スイス語を入れると5か国語を話す彼女ですが、スイスには多言語話せる人が多く、こういった人々は皆、其々の言語の”引き出し”を脳に持っています。

まさに、コンピューターの英語、仏語、独語、日本語、スイス語のボタンがある様に、違う場所に単語が詰められていて、英語の時は英語でしか考えない、そういう状態にしています。

単語の意味は、英英辞典を引いて、その言葉の意味をイメージして掴んでいく、と言うわけです。

スイスジャパンサポート

近藤


スイスの学校教育システムについて。小学校高学年で、進学コースがすでに分かれる。

今回は、スイスの公立学校の教育システムについて、ご紹介します。

スイスの教育制度は、州によって少し違いはありますが、意外と知られていないのは、スイスの小学校5年生で、すでに大学進学コースへ進むかどうか、という道が分かれ始めることです。

これは、日本の公立学校教育と比べると、小学校高学年の5,6年生のクラスで、成績によって、クラス分けがされてしまうというのは、意外とシビアです!

小学校のクラスで、上位3割位の成績に入っていないと、大学進学クラスへ入ることは出来ません。しかしながら、日本と違う点は、たくさんの教育ママがいて、いい高校へ、そして、いい大学へ入ろうと、皆がみんな躍起には、あまり思わないことです(人それぞれという感じです)。

中学に入ると、今度は、3つのコースに分類されます。いわゆる、大工の様な仕事に就く、職人見習いコース(レーレ)と、商業コース(プラクティコム)、そして、進学(ギムナジウム)コースの3つです。

大学へ行きたい人は、勿論この進学コースのクラスに行かないといけません。 大半の子供達は、真ん中の商業コースと言って、学校で商業訓練をしながら、会社で週に何回か働くという道を選びます。

大学へ入学出来る人自体が少なく、在学中に半分に減ってしまう為、卒業出来る人となると、かなり少ないのが、スイスの特徴です。スイスの大学生は、日本と違って、アルバイトに明け暮れるのではなく、アルバイトも出来ない程、必死に勉強していないと、ついて行けないというのをよく聞きます。

多くの学生が普通科へ進学するという日本とは異なり、スイスでは、企業で必要な職業訓練、もしくは師弟制度で技術を磨き、実践的に即戦力を身につけていく人が多いです。

大学を出なくても、それなりの給料が支払われますし、職業大学があり、そこでは大学卒業と同等なディプロマが得られる学校もあります。

別の言い方をすれば、大企業や外資系企業も多いスイスでは、若いうちに行えるインターンシップ(またはレーレ)制度が発達しており、実践と学校での理論学習というデュアル制が行われています。

数年前に、米国副大統領の奥さんが、そのスイスの企業や職業訓練のデュアルシステムを視察しに来て、米国でも導入したいという意向を示し、話題となりました。つまり、米国のオバマ政権が導入を検討しているというニュースでした。

それを比べてみると、日本の大学の勉強では、一部の産学連携や理系のプロジェクトを除くと、未だに理論ばかりに走り実社会であまり役立たない勉強が多い様に私は感じます。大学の研究が社会とリンクしていけば行くほど、開かれた学びの場になると考えます。

スイスは、周囲が大国に囲まれ、ヨーロッパの中心に位置し、昨今の人口増加で、即戦力が求められる環境にあること等から、この国の利点は、早くから、自分の進むべき道を自覚することにあると感じています。

スイスジャパンサポ―ト

近藤


なぜ、日本企業は海外進出が下手なのか?東洋経済記事から。

なぜ、日本企業は海外進出が下手なのか?という東洋経済オンラインの記事について、少し私の意見を書いてみます。この記事自体は2014年07月07日にミハエルA. ヴィット :INSEAD教授によって書かれたものですが、2016年10月25日にネットから引用して分析します。

この表題に私が興味を持った理由は、私もそう疑問に思っている一人だからです。特に、海外に住んでいると、余計、他の中国や韓国が日本よりも海外進出に積極的なのに対し、じりじりしてしまいます。

失われた20年の根源は、まさにこの疑問の答えに潜んでいるからです。いやいや、これから日本は、さらに30年に突入しようとしているという人もいるくらいですから、留学生の少なさとも比例するのかも、という感じもしていたので、この記事を読んでみました。

まずは、日本企業は、日本のやり方に固執しすぎ?と書かれています。

これについては、80年代後半~90年代に海外へ進出していた多くの日本企業の例から、本当に、ローカライゼーションとはほど遠いことを私も海外にいて、実感体験していました。言葉もよく操れない日本人マネージャーが、日本語を話すローカルスタッフを雇い、一緒に仕事をするパターンです。本社とのやり取りを彼らが担うのですが、一向に効率的仕事が捗らない光景が多く見受けられました。

なぜなら、日本企業から突然やってきた彼らには、ローカルとの溝が余りに深く、かといって、海外進出におけるマーケットリサーチも戦略も何もないような状態だったりしたからです。つまり、見ていて、なんのコンセプトもなく、放り込まれた的に駐在として、住居を与えられ~さあ、お前やれ見たいな感じで、結局雇うのは、日本語が出来るスタッフ止まりだったりしたものです。

その国特有の“ゲームのルール”がある(記事から抜粋した見出し)

ローカルの立場になって考えるには、まずそこに腰を下ろして住んでみなければ、彼らの考えていることなどが到底理解出来ません。しかし、3年やそこらでまた帰ってしまう彼らにそんな余裕はなく、表面的な仕事しか出来ないうちに期間満了となってしまいます。

そこで、記事には、企業が取るべき最初のステップは、日本と現地との間にある顕著な違いに気づくことである、と書かれています。

そこで、次に著者は、以下のような表を作成しています。「日本とアジアの12カ国、欧米の5カ国との間に存在する「制度的な違い」について、数値化した表を作成しました。 これらの数値は、“ゲームのルール”が日本と各国とでどれだけ異なっているかを示したものであり、数値が大きくなればなるほど隔たりが大きく、それだけ 「よそ者の不利益」が大きいことを示している。表は、日本との「制度的な違い」が小さい国から順に並べられている。」

「社会学者によれば、もし日本列島を欧州の端に引っ張って来られるなら、社会のあり方という観点から、そこにぴったりはまるだろうとのことである。」これは面白い分析だと思います。

この分析を著者は以下のように述べています。

「これらの国々に進出する場合に調整がまったく必要ないという意味ではない。たとえば、ドイツ企業が明文化された規則を非常に重視するのに対し、日本 企業は暗黙の了解のうえで事を進める。北欧企業は日本企業に比べて、より対立が先鋭的でそれほど調和を重視しない。とはいえ、全体として見れば、ほかの地 域へ進出するよりも調整の程度は少なくてすむであろう。 米国はランクの真ん中に位置しており、最近の日本企業の投資先として最重要である中国とインドは、最も隔たりが大きく、調整の必要度が高い。」

著者は、日本企業進出の際のコツをアドバイスしているが、私が考えるところ、要は、海外での人材確保が困難な点がかなり大きなウエートを占めていると考えます。

日本企業にとって、外国人と一緒に仕事をしていくことは、今まで日本の歴史上、かなり僅かな歴史しかない。日本ほど、鎖国も含め、外国人と共生してこなかった国も他にないのだから、”日本人の外国人との共生は、未だ始まったところ”と私は思っています。それまでは、日本人にとっての外国人とのコミュニケーションというのは、外国人=お客さん的な接触がほとんどだったのは事実です。

インターネットの時代で、ようやく日本も少しずつ、外国との取引を普通の企業が考える時代に突入してきています。

それを考えると、国際取引のプロともいえるスイスという国は、交渉に長けていて、外国語にも問題がない。これから、人口が減る中、日本は海外との取引なくしてはやっていけない状況にある故、日本の子供たちが、小さいうちから外国に慣れておくことは、必須であると、考えます。

その中で、特に経済的な余裕のある子どもには、国際教育を受けてもらい、どんどん外国人と交友を広げ、普通に英語も日本語も出来る人材が増えて欲しいものです。ネット社会という早いテンポの中で、通訳がいるから大丈夫なんていう時代はもうとっくに過ぎ去り、ビジネス英語は自分の口から交渉しなくては、遅いからです。

だからこそ、私は、ここスイスの国際教育の場を日本の子供たちにこそ体験してほしいと願っている今日この頃です。

10月24日

スイスジャパンサポート

近藤 ミホ


スイスのレマン湖が見える私立寮制学校、St.George’s。

西スイスに位置し、ヴヴェという街から近い、高台にあるボーディングスクール、St.George’sについてです。
スイスの私立寮制学校の多くは、アルプスに位置し、街へ出るまでが大変な場合が多いのですが、この
学校サン・ジョージは、街までバスですぐです。
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ヴヴェは、2万人程の街で、多国籍大企業のネスレ本社があることでも知られています。
その為、この学校の多くの生徒の家族はネスレ社員だったりします。

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全校生徒420名の学校です。通学生の割合が多く、寮生も15%程学校の寮で生活をしています。
来季からは寮生も増えるということで、他のスイスのボーディングスクールと傾向が似ていて、生徒数が
増加しています。

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ここは、通学生と寮生両方がいることと、言語は英語だけに絞られているのが特徴です。
そして、制服があります。

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通学生がいるメリット、デメリットがありますが、学校のレベルが通学生によって、高められているという
見方も出来ます。つまり、通学生は、地元の学校に行かずに、わざわざ、お金を出してこの私立校を選んで
来るので、それだけの期待があり、地元の子供が行く学校との比較もされるわけです。もちろん、
寮生だけのボーディングスクールも、IB合格率が発表されますが、この学校はIB合格率が高い
です。

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時に、寮生が通学生の家に招かれることもある様で、ローカルの生徒の生活ぶりも垣間見られます。
ローカルといえども、多国籍企業の家族等が多いことから、国籍は様々で、国際色豊かです。

スイスジャパンサポート 近藤

 


増築、改築ラッシュのスイス・ボーディングスクールと安全な国スイスと安全性について。

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スイス現地で、ボーディングスクールを訪問していて、最近校舎や寮、学校施設の増築や改築を耳にします。今分かるだけでも3校あります。

そのうちの2校は、寮の増築も行っており、部屋数を更に増やす予定で、受け入れ生徒人数のキャパが増加されます。

日本では、ヨーロッパはテロで危ないから、と心配される保護者様がいらっしゃるのですが、逆に、世界の国では自国で教育させるのは不安だから、という理由で、スイスへ子供を送る親が増えているという現状です。

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スイスのボーディングスクールは、学校によって特徴は様々ですが、多くの学校が、スイスアルプスの標高1300~1750mに位置する等、風光明媚な自然環境のいい高台に位置しています。

スイスという国のイメージが、安全ということもありますが、別の理由として、次の様な状況もあります。

大都市というのが存在しないスイスでは、地方分権制度で、市町村が細かく分かれています。その為、近所の眼というのがあり、以前、ブリュッセルで起きたテロの根幹となる様な、外国人居住地区や貧困街のゲットーというものは存在していません。外国人も集落で住まずに、現地に溶け込む様に暮らしています。

もちろん、ここで私が、スイスは安全ですよ、と断言したところで、何の意味はないのですが、逆の観点からいうと、ヨーロッパから日本へ行くのが、私も含め(最近思うのが)、”地震や災害は大丈夫だろうか?”という危惧です。

つまり、端的に言えば、ヨーロッパのスイスから地震の確率の高い日本の地域へ行くのと、日本からヨーロッパの中のスイスへ行くのと、どちらが危ない目に遭遇する確率が高いか?と考えた場合、日本人ならヨーロッパのスイスと思うのが普通ですが、私からすると、テロがスイスの学校のある町で起きる確率は、日本で大きな地震に合う確率より低いと考えます。

まず、人間は、今自分が住んでいる場所が一番安心出来て、安全だと思っているものなのです。海外のその国が安全かどうか、というのは、よほど、中東へ子供を行かせない限り、そこで何か危ないリスクが起こることは、予測や計算出来ないことなのです。あと強いて言えば、フランスのパリへお子さんを送るのは止めた方がいいかと思います。

私の友達で、パリのテロ事件直後の春休みに、大学生の娘さんとパリとブリュッセルに観光へ行った人がいます。そこしか休みが取れなかったことも事実ですが、むしろ、直後だから、警備がそれだ万全だろう、と考えたからです。こういう考え方も有りだと思います。

日本のメディアでは、ヨーロッパすべての国が危険!の様な報道がされています。

要するに、大事なのは、本質を見極めて、自分自身で判断及び行動することで、日本のメディアをただ鵜呑みにしないことなのです。

近藤

スイスジャパンサポート


日本の将来を担う子供達に、若いうちに世界を見てもらいたいという願い

日本に住んでいて見えてこなかったものが、留学先の外国で生活して見えてくるものがあります。それは、もちろん、様々な国から集まって来たクラスメートの価値感が、日本人のそれとは異なるからです。

日本という単一民族の、平和な国にいると、民族同士のぶつかり合いとか、言語が異なることでの緊張感がありません。でも、一端、世界へ出てみると、ほぼ単一民族だけで暮らしている国なんて、ほぼ無いに等しい、日本は極めて稀な国だということが分かります。

その世界との違い、世界のウネリとやらを若いうちに肌で体験する、それが留学の醍醐味です。

ひと昔前の日本の“国際化”に対応する、“国際教育”は、一歩外から覗いてみるような見物することでしたが、今やそんな流暢なことは言ってられません。グローバル化の流れは遠い極東の日本にも多大な影響が押し寄せ、失われた20年も、シャープが破産したのも、すべて、その、日本人のグローバル化の流れに出遅れたのが一原因なのですから。

20年の遅れを取りながらも未だ、混沌として、一歩が踏み出せない、そういう、景気の復活が未だに不安定な雰囲気は、日本に来るたびに感じることです。

今や、ただ、英語だけを学習して見物しているのでは十分ではなく、同じ土壌に立って、物事を進めて行かなくてはなりません。

大前研一の日本の論点2016~2017(プレジデント社、2015年11月19日出版)の中で、日本を立て直すには、教育改革が必要だと書かれていますが、私も同感です。子供達には多くの才能が眠っているのに、それを生かして、ポテンシャルを引き伸ばし、育て上げていく教育になっていないのが現状です。

日本の大学で、経済を勉強するといえども、過去の出来事をただ暗記するだけでは、何も役立たず、現代社会に照らし合わせながら、自分が社会に出て、これから稼いで行くための準備期間としての大学であるべきなのです。

もっと言えば、日本へ来るたびに私が感じる事で、この3つがこの国に長引く不況をもたらせ、国を後退させたと思うのは、1.政治のしくみ、2.教育、3.女性の活用の欠如です。

特に、3.については、頭脳明晰な女性がたくさんいるのに、その才能を生かしきれずに、男性社会の中で、埋もれてしまっていると感じます。これら3つとも、良いしくみがないからだと私は思います。

ヨーロッパのスイスに長い間住んでいて、日本と比べて思うのは、普通の人が暮らしの中で、自分たちの生活を守る為に、政治に関与し、投票する。その普通の人たちの自然な

考えがそのまま投票結果に往々にして反映され、その直接民主制によって、国の方針も動いて行きます。

これが、日本の場合、大半の国民が思っている事と反することが、国会で決議されたり、地方では、例えば、過半数の住民が“ここに飛行場は必要ない。”と署名しているにも関わらず、どういうわけか、飛行場が出来上がったりしてしまうわけです。

国民投票が頻繁に行われるスイスの直接民主制度を比べるのは、若干無理はありますが、本来、国民の暮らしが主体であって、男性政治家にありがちな、単なるパワーゲームになっているだけでは、何の解決にもならないのです。

こういう結果を海外から見ると、日本はある種、中東世界と雰囲気があまり変わらないのでは?という感じすら覚えることがあります。一握りの人が勝手に物事を決めてしまう、女性の意見もあまり通っていない、、、という点で。

これからの将来の日本を良くしていく為にも、私は、子供達に、若いうちに少しでも海外へ出て、海外の子主達と触れ合いながら、世界から日本を見て、色々な気付きを覚え、経験して欲しいなと願うばかりです。

近藤 スイスジャパンサポート